【韓国】非訟事件で‘事実上代理’がなければ何をすれば

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‘代理と代行’区別の問題点

チョン・ジョンフン法務士(京畿中央会)

この頃法務士業界の最も熱いイシューは個人回生事件を包括受任したという理由で1審と控訴審を経て大法院で裁判中である「弁護士法」違反事件と議員立法で発議された「法務士法」改正案のうちに非訟事件代理権の明文化であろう。

上の二つの事案の最も核心的争点は弁護士に独占的と認定される法律上代理権が法務士には登記、供託などだけで制限的で明文化されているという点である。このような問題は法律的には代理と代行の区別というテーマに帰着する。

個人回復、事実上代理処罰は虚構の理論

結論から言ってみれば非訟事件には代理と代行が区別されることもできなくて、区別してもいけないということが筆者の考えである。非訟という用語自体でも知ることが出来るように非訟は争訟を前提としなくて、ある程度定形化されている事件である。

それならこのような事件でさらに法律専門家と少ない法律専門家に区別して国民に対する法律サービスを制限する実益は存在するのか。もし実益があるならばそれは国民を大切にしたことがなくただ弁護士の利益のためのものという推察は誰でもすることができる。

ところで筆者が14年の間、法務士の仕事をして個人回生・破産事件を直接処理する弁護士はただ一度も見たことがない。そのような反面、法務士は本業が直接処理する場合が多くて、その比重は益々増えている。

現実がこのようなのに弁護士の抽象的未来利益や名義貸与型弁護士事務室の利益のために直接仕事をした法務士を代理権が明文化されていないとの理由で処罰して、弁護士が省みることもなかったことを法務士が何の異常もなく120年余りを主導的にしてきた非訟事件の平凡な仕事の処理を犯罪行為で追い立てている現実は理解することはできない。

我が国は成文法国家だが慣習法を認める国家でもある。もう一度言うが120年の間の同じ方式で処理してきたことを一日で犯罪とするのは法律的判断ではなく暴力に過ぎない。

それでも法務士がこのような暴力に屈服して代理と代行も区別しているならばこれは戦略も何でもない屈従だけのことである。

司法府のこの間の誤った慣行があちこちであらわれている今も権威主義時代にでも通用した監督機関の顔色を見ることもしているならば、権利の上に眠る法務士の権利は誰が保護するだろうか。

私たちは時々法院の権威にだまされて法院が出した虚構の理論を何の考えもなしでついて行ったりもう一歩出て理論構成までしようとする習性がある。ところで筆者は非訟事件で名義貸与で他に事実上代理などを理由として直接仕事をした法務士を処罰するのは代表的虚構の理論だと考える。

国民の後見人的法律専門家と呼ばれる法務士が非訴訟件ですら事実上代理をしなければ何をするという話なのか。非訟事件で積極的に事実上代理をするのは法務士の使命ということができる。

非訟事件は法務士業務、抵抗で守ってこそ

よく考えてみなさい。非訟事件で法務士が事実上代理をしても弁護士の利益を全く侵害しないだけでなくかえって積極的に事件を処理しない法務士を道徳的で非難して協会で職業倫理に反すると懲戒しなければならないことである。そのようにできなくても、積極的に仕事をする法務士を処罰するということが話になるか。

司法府が今回のように積極的に仕事をする法務士を処罰して私たちを萎縮させ、120年間してきた私たちのことを自ら縮小、否定するならばこれを喜んで良しとする者は果たして誰であろうか。

そこに一歩進んで法院の顔色を見て代理と代行の区別でもするならば法院が次に取る態度は火を見るように明確である。

おそらく良いことでもするように一括申請権と送達領収権程度を与えて恩着せがましくすれば充分だと考えるだろう(立場を変えてみて考えてみなさい。この文を見ている法務士が法院ならば自分の権利を自ら縮小した者に法院がそのような行動しないだろうか)。

ある者はそれなら他の方法があるのかと尋ねるだろう。方法はただ一つだと考える。私たちが慣習法と十分に認められる程してきた仕事の正当性を主張して国民にこの不当な事実を知らせて、抵抗することである。

法院、検察が「弁護士法」第109条を名義レンタル清算のための刃が鋭くなった剣として使うことに対してはいつも歓迎であり熱烈な拍手を打つだろう。

しかしこれを他の資格者の法律サービスを防いで弁護士以外の資格者を孤立させる道具として使うならば今後も猛烈な抵抗にぶつかることになるということを今回の機会に確実に見せなければならない。

一部では今回の‘法務士個人回生包括受任事件’を立法的に解決しなければならないという声もある。しかし筆者はこの意見に全面的に反対する。その理由は法務士に非訟事件代理権が明文化されるといってもそれは法務士が120年の間正当にしてきたことを確認する意味に過ぎないためである。

上でも言ったが法務士制度の趣旨や社会一般で国民が個別法務士に希求するところを考えてみれば、非訟事件ではかえって事実上代理をしない法務士を処罰することが国民の法感情にさらに合致する。

この文を書く間、李舜臣将軍の壬辰倭乱臨戦訓が頭を離れない。

“必死則生 必生則死”

死ぬことを覚悟すれば生きて、生きようと思えば死ぬだろう。

【出典】韓国/大韓法務士協会「法務士」2019年5月号

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Author: hasegawa

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